まず、ラップ調の部分ですが、ここは16ビートが1つかけた15ビートがユニットになってます。
いっつもどおりのとおりひとり■こんな日々もはやこぉりごぉり■もうどこにも行けやしないのに■ゆめ見て お や す みいつでもぼくらはこんなふうに■ぼんくらなよるに飽ぁき飽ぁき■またおどりおどり出すあしたに■出会うた め に さ よ な ら
16分ずつ頭を食っていくことで、居心地の悪さ、あるいは焦りが表現されているのかもしれない。
歌詞の内容は、閉塞感を抱えた若者たちへの応援歌だというようなブログも見ましたが、そんなことではなく、単純に自分のことを詞にしているだけなんではないかな。
ここはどうだ楽園か?今となっちゃもうわからない青い顔のスーパースターがお腹すかしては待ってる
やっとメジャーデビューを果たしたけど、どうも目指していたところと違って楽しくもない。「お腹すかして」は、それほど儲かるわけでもなく食えないということか。
今勝ち上がるためのお勉強朗らかな表情
ヒットを出そうと思えば、ファンサービスもしないといけないし、メディアに対してニコニコしていないといけない。
デカイ自意識抱え込んではもう磨耗 すり減って残る酸っぱい葡萄
酸っぱい葡萄はイソップ童話では、取りそこねたものを残念がるのを紛らわすための表現。
いつかは出会えるはずの黄金の色したアイオライトを
これは、将来の希望とかそういうことではなく、ただヒット曲が欲しいということを言っているのではないか。
アイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろう
この遠吠えというのは、海外(アメリカ)進出のことをいっているのかな、という気がした。国内の冴えない音楽市場でくすぶっているぐらいなら、アメリカ進出してしまったほうが気が晴れるというようなことではないかという。「摩天楼」もニューヨークへの言及のようにも思えるし、「イアンもカートも」も洋楽への目線。
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